雄平のプロ野球人生は漫画のよう。貫いた強振
『高ければ高い壁のほうが
登ったとき気持ち良いもんな』
雄平選手の登場曲、Mr.Childrenの「終わりなき旅」の一節
この歌は彼にとても似合っている
それは、挫折も怪我も全てバネにして大きく羽ばたいた雄平のプロ野球人生を形容しているかのようだ
ただ、野球が上手くなりたい
高校時代には最速151km/hの直球に、通算本塁打は36本
世代No. 1の左腕投手と評されてプロの世界へ入った
磨き続けた豪速球はプロ入り後さらに伸び、最速154km/hまで到達したが、その制球力の低さはノーコンピッチャーと呼ばれても仕方のないものだった
09年オフに打者転向を決意し、翌10年オフには登録名も「高井」から「雄平」へと変更
ここから雄平のシンデレラストーリーが幕を開ける
11年にイースタンリーグで首位打者を獲得すると12年には一軍に、14年にはレギュラーの座を掴み取った
そして、打率.316、23本塁打、90打点、10盗塁でこのシーズンのベストナインを獲得
打者転向から5年目でリーグを代表する野手となった
翌15年には、ヤクルトスワローズの14年ぶりの優勝を決めるサヨナラタイムリーを放って神宮球場を歓喜の渦に導いた
もちろん、チームの優勝は雄平だけの力ではなし得なかったし、個人打撃成績では前年(14年)の成績を下回ってしまった
それでも、あの場面で雄平に打席が回り、雄平の一振りが優勝を決めた
あの日、神宮で起きた出来事は単なる偶然で片付けるにはあまりにもドラマチックな展開だった
「野球が上手くなりたい」
その一心でどんな壁も乗り越えてきた雄平だからこそ、あそこで決めることができたのだろう
そう思わずにはいられない
旅の終着点
「誰よりも練習していた」
「若手選手も見習ってほしい」
雄平に対する青木宣親や真中元監督らの言葉だ
豪速球ノーコンピチャーで投手失格の烙印を押されるも、フルスイングで打率3割を残す打者として蘇った
そんなトレードマークのフルスイングと笑顔でファンから愛された雄平
努力の天才が辿った軌跡は、漫画の主人公のような奇跡の物語だった